2016年8月8日月曜日

先日お父さんが息を引き取りました

8月2日が命日
会社からは特別休暇が降りて一週間休みもらえました。
明日から出勤

母親から電話あって『もうあかんわ』と聞き
せめて病院行くまでもってほしかったけど
しばらくして医師から死亡が確認されたんだと。
その先週7月25日と26日に家族で見舞いに行ってて
25日は帰る時手を振ったら振り返してくれた。
26日は大掛かりな手術があって手術前に
『また後でな』って声をかけて病室を出たんだけども
手術の開始時間が遅れまた手術自体も予定より
時間がかかって自分は仕事の都合上、
手術完了より前に病院を後にした。
また後でなって言ってその約束守れなかったのが心残り。
8月2日は病院ではなく実家に行って
父の遺体が病院から運ばれてきて仏壇の前に寝かせて
冷たくなった手を握って『また化けて出てってーや』と声をかけた。
幽霊はあまり信じてないけど居て欲しい思う自分にとって
そういう奇跡が起こって欲しいと思う。

8月3日の昼に納棺式があってお父さんは棺に
入ったんだけども生きてる人間が寝てるような顔してた。
5時からお通夜 葬式は次の日の4日
その日の夕方に火葬、お骨上げをした。
家族葬にしたんだけど親族以外に一般の人もきてて
静かな葬式にはできなかったけどお父さんの生前に
付き合いがあった人たちだから仕方ないかと思う。

葬式を終えるまでも大変だったけど
浄土真宗で葬式をしたけども今後も大変だ。
頂いた香典のお返し、四十九日と言ってその間
毎日お経を唱えて供養して故人が極楽浄土に
行けるように儀式をしたり、法事が毎年あったりと
まだまだ終わらないんですね。法事は来てくれた方に
食事も用意する必要があったり。
正直宗教に感心がない自分にとってこれらの行為に
意味を見いだせないです。ただただ大変なだけ。
仏教徒からすれば熱心になれるんだろうけど。
村の中に薄いけども親戚にあたる人が何人もいるんですけど
なんていうか色々ああしなさいこうしなさいと口出ししてくるんですね。
葬式のやり方とか仏壇の飾り付けとか
価値観を押し付けてくると言えばいいのか。
そういう人たちにとってはそれがお父さんの供養になると
思ってるんだろうけどあくまで仏教の考え方、
いやその人の考え方かもしれない。
自分にとってはそもそも供養って概念があまりなくて
お父さんとの昔の出来事を思い出したり、それがすべて。
もし幽霊となって出てきてくれるならば当然話したい。
宗教の教え、作法そんなものはどうでもいい。
だけどお父さん元気だった頃毎朝仏壇の前で手を合わせてた。
心臓が悪かったからすがる思いでやってたのかな。
自分や他の家族には仏教の話なんかほとんどしなかった。
自分が死んだ時教えにならって供養してほしいとか
言ってたなら進んでやろうと思うけども
死んだ今となってはわからない。

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