2010年11月1日月曜日

死刑のあり方(自分は賛成派)

耳かき店員の女性が刺殺された問題で
死刑ではなく無期懲役と判定された。
法廷に立ち会う裁判員は犯人の言動をみて
死刑という重い判決を下す気分にはなれない
のだろうか。 これは裁判員制度が導入される
前から言われてたことだ。 このケースにおいて
裁くことにおいて客観性とはなんだろうか?
所詮自分とは関わりない人間が加害し、被害に
あう者がいるというだけで客観性を悪くいえば
他人事とも言えるだろう。
自分の大切な人が殺されたら加害した犯人を許せる
だろうか? 自分は生前に本人が殺害されたら
犯人に死刑を執行すべきか否か意思表明をできる
制度がほしいと思う。あるいは遺族が決める。
これなら賛成派反対派まるくおさまるんじゃないか?
反対派は被害者の関係者という立場になっても
したくないならそうすればいい。
犯人も気持ちはあるだろう。反対派の中には
犯人が今までの環境、人生の上で色々あった上で
事件が起こってしまったと言う。 それはその通りだと思うが、
ではその理屈なら被害者の関係者は自分の大切な
人の命が奪われた、その上で犯人に『仕返しに死刑にしてくれ』
『殺せっ!』て心理になるものまた仕方のないことだ。
自分もきっとそう思うだろう。 因果律の上で起こってしまった、
仕方ないことだなんていうなら死刑OKでいいじゃんよ。
それもまた因果だよ。
犯罪を防ぐには逮捕後のリスクというもので抑止するしかない。
お金が困ってる時にお金盗もうとか、人が憎くて殺したくなる
瞬間ってのは誰にでも訪れるものかもしれない。
抑止がなければ簡単に悲劇というものは起こってしまう。
反省してる様子をみせて刑が軽くなら抑止の効き目は薄い。
日本人は命を大切に思っているからこそ悲劇を起させないために
リスクで悲劇が起こることを抑止しているんだ。

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